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感冒(風邪・かぜ・カゼ)

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感冒

 鍼灸師は感冒を治すことができて一人前と学校で教わります。

 治癒にかかる時間は1日かかるようでは遅く、せいぜい半日です。

 感冒初期においては 3~6時間 で楽になることが目安です。

 ※日頃から不摂生している方は、治りが悪い傾向にはあると思います。

 

 さて、感冒という言い方は医学的用語で、一般的には風邪・かぜ・カゼのことをいいます。より専門的には気道感染、呼吸器感染などと言われたりもします。

【一般的な感冒の段階】

①鼻水・咳・くしゃみ・痰
先ずはこの段階でウィルスを追い出します。
②嘔吐・下痢・腹痛
①で追い出しができないと、少し症状が重くなります。
③悪寒・発熱・頭痛
①・②でもダメなら熱を発生してウィルスを死滅させます。

 

感冒に関する原書

 古代の人々は感冒に対する経験を記した書物があり、特に有名なのは中国古典の「傷寒雑病論(しょうかんざっぴょうろん)」です。3世紀頃に仲張景という人物が記したものと言われています。この傷寒雑病論は後に編纂・校訂されていきますが、大雑把に申すと傷寒の部分は傷寒論、雑病の部分は金匱要略(きんきようりゃく)と別れていきます。ここでは主として奥田謙蔵氏(明治17年~昭和36年)の傷寒論をベースに説明をしていきます。※奥田謙蔵氏は医道の日本から復刻版(オンデマンド)として著書があります。

 

 ところが時代が進むにつれ、傷寒による感冒ではなく、余分な熱邪によって引き起こされる感冒も見受けられるようになりました。近年では「温病学」と言われています。一般的な感冒は冷たさ(寒)によって引き起こされる冬風邪のことを刺しますが、暑さ(熱)によって水分(陰液)を失うことにより生じるもので、夏風邪と言われることもあります。こちらの温病については原書と言われるものはありませんが、傷寒論から発展されて今も尚、進歩を続けています。

感冒の段階(傷寒)

 感冒の治療においては時間的な変化を理解する必要があります。大きく分けて6段階あるのですが、ここでは特に重要な前半の太陽病、少陽病、陽明病の3段階に絞って説明します。一般的な感冒はこの前半で勝負して決着をつけることが重要です。

 

※執筆中

太陽病(壱)・・・感冒初期の共通定義 → (弐)もしくは(参)に分類

【原文】
一、太陽之扁病。脈浮。頭項強痛。而悪寒。

【訳文】
太陽の病たるは、脈浮に、頭頂強ばり痛み、而して悪寒す。

太陽病(弐)・・・感冒初期 → 桂枝湯(けいしとう)

【原文】
二、太陽病。発熱。汗出。悪風。脈緩者。名扁中風。

【訳文】
太陽病は、発熱し、汗出で、悪風(おふう)し、脈緩なる者は、名付けて中風と為す。

太陽病(参)・・・感冒初期 → 麻黄湯(まおうとう)

【原文】
三、太陽病、或已発熱。或未発熱。必悪寒。髄痛。嘔逆。脈陰陽倶緊者。名曰傷寒。

【訳文】
太陽病は、或いは已(すで)に発熱し、或いは未だ発熱せず、必ず悪寒し、髄痛み、嘔逆(おうぎゃく)し、脈の陰陽倶(とも)に緊なる者を、名付けて傷寒という。

 

 

 

②少陽病

 

③陽明病

 

 

 

感冒の極意

 医師を始め、古典派鍼灸師などは感冒について日夜研究を続けております。万病の元と言われる感冒ですが、これを克服したものはおらず、新薬を作っても新たに菌が生まれるという現象のようです。それでは一体どうすればいいのでしょうか。日夜の努力は無駄なことなのでしょうか。

 

 このような哲学的な疑問を明らかにした人物として、生物を研究し免疫学者である多田富雄氏を紹介いたします。

 

 多田氏の研究では、” 人間の体内に異物が侵入すると、細胞たちはその異物を排除せずに、自ら異物を取り込み新しい細胞を生み出す ”というシステムが人間には備わっていることを発見しています。そしてそこには ” 寛容の世界がある ” とメッセージを発信しています。

 

 これはどういうことかと申しますと、人間という生物は感冒に対して敵対するように創られたのではないと考えています。非自己となる細胞(ウィルス)を敢えて取り込み浄化した後、新しい細胞を作り出すという一連の流れは壮大な生命活動そのものであると言えるでしょう。その太極的な観点からするとウィルスの存在に善悪の是非は無いということです。下々の人間の目から見ると悪く嫌な存在に見えてしまうのかもしれませんが、自身の経験や体験を積み重ねて成熟していくとウィルスに対して余計な心配や恐れが無くなってくるのです。そして真の自由が生まれ、全てを受け入れる ” 寛容 ” という境地に辿り着くのではないでしょうか。

 

 ” 内傷なければ外感なし ” という言葉があります。いつも心穏やかにしてゆとりを持ち、七情を乱すことなければ外邪に侵されることはないというものです。それでも間に魔が入り込もうとしますが、その魔を抱(いだ)いてこその完全な生命活動であります。魔も一つの尊い命には変わりはないのかもしれません。その魔を増長させずに自らが滅ばないようにする方法について本項で述べたつもりです。

 

 自己が確立すればするほど、非自己となる相手を理解する必要が出てきます。自分のみという利己性や自己愛ではいつまでも非自己となる相手を理解することはできません。そしていつしか自分も魔に陥り、他人をも傷つけ自らも滅んでゆくのが道理なのです。

 

 拙い内容ではありますが、今後も研究して執筆して参ります。ありがとうございました。

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